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interview

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森田忠夫さん/涌井晴之さん

佐潟(さかた)にて

※インタビュー中に出てくる山菜や潟魚の採取は、潟文化を紹介する特別の催しの際だけに限られており、漁業権をもっている人のみが漁を行うことができます。


森田忠夫さんと涌井晴之さん

赤塚住民で佐潟をよく知る大工の森田忠夫さん(左)
聞き手協力:佐潟と歩む赤塚の会 代表 涌井晴之さん(右)

新潟市の西区、佐潟周辺は赤塚地域と呼ばれ、かつては北国街道の交易とともに発展した地域です。「佐潟と歩む赤塚の会」は地元の有志が中心になって潟の保全活動や、佐潟を通して地域の魅力を紹介する活動をしています。地元の歴史をよく知っている森田忠夫さ ん(写真左)、代表者の涌井晴之さんにインタビューしました。

小さい頃は何をして遊んでいましたか?

(森田さん 以下白字)中に入って遊んでた。

佐潟の潟舟体験はイベント時のみ。潟舟の竿さばきに長けている同会の中原勝芳さん/いまや希少種となりつつある、昔はたくさんいた雑魚たち。タモロコ、モツゴ、フナ、ドジョウ、タナゴなど

涌井さん 森田さんたちの子供の頃はもちろん入ってよかったし、上潟では泳いでいましたからね。

水も飲んでたんだ。きれいな水だったから。

涌井さん ホタルもいたっていう話です。雑魚は少なくなりましたが今もいますよ、タナゴとか。

ここでいう雑魚というのはフナの子だよ。まあ他にもタナゴとかいろんなのを混ぜて雑魚と言っています。ドジョウはいるだろうと思う。

佐潟は上下2つの潟から成っている。写真奥の駐車場のある大きい方が下潟

今では桜並木通りになっているが、昔は佐潟周辺は田んぼが広がっていた/赤塚の歴史的建造物の中原邸

涌井さん 昔は遊ぶ店なんかもないし、潟舟に乗って魚を捕まえたり、泳いだり、そういう遊び場だったんです。

学校から帰ってくるとすぐ遊んでたね。泥々のところでなくて潟の方が水がきれいだったから。夏の夕方にわざわざ手ぬぐい持って行ったんだよ。牛や馬と一緒に体洗ってたんだもん。馬は値段が高いからあまりいなかったけど、牛は多かった。牛が農作業の荷馬車をひいていたんです。

Q 魚を佐潟で獲って食べていたのですね。

生活のために売ってたんだよ。あんまり仕事したくない人はそうやってたんだわな(笑)。私は昭和40年ごろからちょこっと捕っていたことがある。

Q その頃魚はたくさん捕れたんですか?

うん、魚は捕れた。でもね、当時「潟のフナは骨っぽくてだめだ」って言ってさ。田んぼを作るために堀がいっぱいあったんだけど、そこにいるフナの方は丸々太っていて大きかった。だから、硬い潟のは買い手が少なかったわけだ。捕って肥料にしたり。冬に氷が張ると、ところどころに開いているところから網を入れて、氷の下を引くんだわ。そうすっと一網でね、十貫(37.5kg)くらいマブナとかが網に入ったんだわ。それはおいしんだけど、ヘラブナは身がやわらかすぎんだわ。この辺は雷魚(外来魚)が増えたね。ほかにも、ちょこっとブルーギルが来たこともあったけどおれも参加して退治したんだわ、それからいないね。

佐潟は、角田よりの奥手は上潟と呼ばれている。樹林に囲まれていて中の様子は高台に登らないと見ることはできないため、白鳥など水鳥のバードサンクチュアリになっている

Q 昔は佐潟でうなぎもいたのでしょう?

うん、あれはうなぎの稚魚を放流して、人によってはスッポンもいれたんだわね。今もまだ残っていて、たまにこーんなでっかいやつがいるよ。周りには桑畑もあったんだわ。今は潅水技術が整ったけど、当時はいちいち担いで水をくれたもんだから、桑畑だったら植えっぱなしで水いらないんで、養蚕が盛んだったんだ。もっとも田んぼのほかには銭をとる方法がなかったんだよね。田んぼだってあんまりようけ(多くは)採れなかったんだ、この辺は。そうだな、おれたちが子供の時分は6俵、6俵(コメ1俵は60kg)といえばいいほうだったかな。

涌井さん 雷魚は釣り人にとってひきが強いので魅力なのか、県内外から釣り人が来るようになってしまって困っています。

 

本当は釣り人に来てもらいたくないんだよね。雷魚なんていっぱい捕ってくれてかまわないんだけど、釣り人の糸に白鳥がひっかかって怪我したり死んだりしてんだわ。

涌井さん 新潟市の条例が改正されて、ルアー釣りは禁止になったんですよね。ルアー以外の釣りも「釣り券」を買ってすることになっているんです。でも、そういうのは県外から早朝に来る人が買ってやっているとは思えないし。

おれは前に年会券を買ったけどさ。使わないでしまっていた。だんだん竿を出す場所もなくなってきたんだよ。ルアー釣りは、ずうっと禁止なんだけど、見張っている人も少ないし、平気で来る人がいるからね。注意したってぜーんぜん効き目がないんだわ。

観察舎は昭和後期に建てられ、現在の観察舍は2005年9月に建て直されたもの/魚を運ぶミサゴ

Q 公園での魚釣りって本当はいけないことでは?

涌井さん いや、それは森田さんもそうだけど、潟を地域住民が利用することを規制するものじゃないんです。

ラムサール条約はね、「地域住民がそのままの生活の様式で、潟を残してくれればいい」という条約なんだよね。

涌井さん それがラムサール条約でいうところの「wise use(賢明な利用。湿地の生態系を維持しつつ、湿地を持続的に利用すること)」なんです。

畑に水をやったりね。守りながら利用するというね。

Q 昔は田んぼが多かったのですか?

うん、主に田んぼが多かった。今作っているところはほとんど昔は山林だった。飛砂防の松林。ここは砂丘なので、ちょっと乾燥すると砂が飛ぶんですよ。松林を植えてやっと田んぼができたんだわ。

Q 昔からヨシ原があったのですか?

前はね、実はヨシなんて一本もなかったんだ。

涌井さん 初めて野鳥観察舎が建設された昭和後期の写真では、あの辺りはヨシはなにもなかったんですよ。

田んぼの後からヨシが生えてきたんだわ。放っておくと勝手にどんどん生えてくるけど、いい加減生えてきても刈ってはいけないってことになったんだわ。

涌井さん ヨシ原が貴重というよりは、「人威圧」から野鳥を守るためなんでしょう。ヨシが生えて、鳥の目隠しにもなって、渡り鳥やコハクチョウは臆病なので安心して降りれるというわけです。

でも反対にね、ヨシをある程度刈ってあげないと鳥が降りたてないからね。イタチとかタヌキがいるから用心してヨシのそばには来ないよ。

涌井さん ああ、用心深い野鳥には見晴らしが効く必要はありますよね。

佐潟の水辺のヨシの原/夏に繁殖のために飛来するオオヨシキリ

川の淵にヨシがあるから、水が浄化するっていってねーーヨシを残したい学者とヨシを刈った方がいいという人がいるんだな。

涌井さん ヨシは実際、根の部分から潟内の窒素分を吸収するという、ヨシの浄化作用というものは学術的にも証明されているんですよ。

浄化はするんだけど、流れのある川と違って佐潟は湧き水の潟だから、淀んでしまうというのもあるんだわ。ヨシを刈らないでおくと、倒れて堆積化してしまう。

涌井さん それで陸地化されて湖面が狭まるんではないかということなんですね。

Q 新潟市が昨年に引き続き浚渫船でヘドロの回収を行いました。ああいう重機がない時代には、みなさんどうやって潟の手入れをしていたのですか?

手入れなんかしないんだわ。ただ自分ところの田んぼに、泥が必要だから(笑)。鋤簾(じょれん)であげて、それで田んぼに落としていたんだわ。水が少なくなってくるとそうしていたんだわ。

涌井さん 今森田さんが言った鋤簾(じょれん)は長さ4-5mの竹の 先に、ゴミを上げるためにカゴが ついているんですよ。それですくうと、堆肥も一緒に、泥と水分が取れます。昔は化学肥料なんかないから、ゴミあげと称して田んぼにあげて、今でいう有機肥料にしたんですよ。そういうことをこの周辺部ではやっていたわけですよ。それで森田さんたちが舟を通すのに舟道というのを作っていたんです。

スコップでやっていましたからね。でも佐潟の潟の面積は昔より小さくなってしまった。今は田んぼもなくなって新潟市が管理しているからこれ以上小さくならないと思うけど。

周辺の花々や夕日の美しさが、散歩する人々に楽しみをあたえてくれる

Q 潟普請(かたふしん)という、毎年子供たちが潟をきれいに掃除する行事がありますが。

9月の下旬あたりに毎年ありますね。

Q 佐潟の周辺地区である赤塚の昔はどんな様子でしたか?

私らが子供の頃の赤塚にはね、桜はそんなになかったんだわ。周りには松の木と杉の木があって、松の木なんかは抱えられないくらいの太いのもあって、そこは昔から銃猟禁止地区やったんだ。それで罠だとか網で獲物を獲ってたんだよね。「坂網猟※1」っていう三角のやつでカモを獲ってたんだ。その時、松の木の上に棚つってさ、高ければ高いほどいいのね。でも大きくなった時分にはもうそういうのもなかったね。もともと銃は使ってはいけなかったんで。

涌井さん 今はもう松くい虫の被害で松林がほとんど無くなったけれど、昔は風呂は木材で焚き付けしていたから、松林に枝を拾いにいったでしょう?

松林はうんと前からあったからね。昔偉い人が飛砂防止用(砂が風で飛んで来るのを防ぐための林)に植えたんだよね。ずうーっと海岸線に松を植えた有名な人※2がいたんだよ。この辺は山がないから燃すものがなかったんでね。その林は下の枝を払ったり手入れするのに各区に割り当てられていたんだ。

涌井さん 昔はそうやって木々も手入れしていたんですよね。

でも今、飛砂防林は全部枯れたでしょ。寺泊にもこんな太い松があったんだけど、松くい虫にやられてしまった。松は大工は梁くらいにしか使わないけれど、緑がなくなってさみしかったね。

赤塚神社の狛犬/北國街道の石碑など

Q 今インタビューしているのは春夏年に2度だけ公開している赤塚の旧家の屋敷なのですが、赤塚建築というようなものはあったのですか?

特にないね。赤塚には大工がたくさん住んでいたけどね。

涌井さん 赤塚は農家もだけど、大工さんが多いんですよ。「赤塚の匠たち」なんていう題名で新聞で連載されたこともありました。

昔から茅葺屋根とかは少なかったんだ。赤塚は施工をする人が多い建築の村。長男は家を継いで、おじんぼう(次男坊)はみんな大工になったね。

Q 森田さんは地元の住民で「赤塚の会」に入ってはいないけれど協力をなさっていますね。

涌井さん 「赤塚の会」があって湿地センターもあるから、(森田さんと私のように)こんなふうに世代を越えて地域住民同士が知り合いになれたのです。

涌井さんは息子と同じくらいの年だものね(笑)。

Q 佐潟は潟そのものだけでなく、北国街道の通っていた赤塚地域の歴史も興味深いですね。ありがとうございました。

***END


NPO法人 佐潟と歩む赤塚の会

佐潟の自然、赤塚の歴史文化の学習、地域活動を通した次世代への継承を目的とする会です。9月の潟普請をはじめ、佐潟周辺で活動しています。

佐潟と歩む赤塚の会 ホームページ

※1 坂網猟は投げ網によるカモ猟の一種で、鉄砲を撃たないで飛び立つカモに網を投げるもの。一度に捕り尽くさず、必要な分だけ捕獲する猟法。

※2 飛砂防止用の松林を新潟の海岸沿いに植えていった人物は1843年、新潟奉行となった「川村修就(ながたか)」と思われる。海岸の木を切ることを禁止し、6年間で3万本のマツを植えた。こうして、1851年には新潟の海岸全域に砂防林が完成した。(新潟県「にいがた海岸林物語」より)


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情報は2015年10月現在のものです。
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